その日人類は「まれ」を思い出した。
朝ドラ「まれ」の問題点を考えてみる。
「#まれ」を半年頑張って視聴し、最終回までたどり着いたウォーボーイズの皆に捧ぐ画像。お疲れ様でした!/http://t.co/GMjYsC5KFh
— 亜姫篤@10/12青黒D28 (@gameura) September 25, 2015
厳密にはまだ総集編とスピンオフ2作、運が悪ければヒロインの司会&紅白のミニステージという地獄の延長戦が待っていますが、とりあえず何とか終わりました「まれ」。
通常であれば朝ドラという、知名度が他局とは比べ物にならないほどアゲアゲになる作品に取り上げられた役者・職業・舞台が、まさかここまで深刻な大ダメージを負うとは、半年前誰が考えた事でしょう。勿論一番ダメージを負ったのは視聴者です。
一体全体どうしてそんな事になったのか。考えるのも億劫ですが、考えておかないと明日には新しい朝ドラがはじまり、「まれ」の事など忘却されてしまうこと必至なので、ちょっと考えてみました。
朝ドラ「まれ」の問題①家族構成で奇をてらいすぎた結果、邪神が誕生。
朝ドラにおけるヒロインの家族構成の定石は「主人公を暖かく、時に厳しく、故郷から見守る」ポジションであるわけですが、変則的に、強権的であったり、鬼ババアであったり、風来坊だったりしつつも、基本的には主人公より積み重ねた年月分、道理がわかってる存在です。
その定石を崩しにかかった結果、エラいことになったのが、「純と愛」の武田鉄矢なのは記憶に新しいトラウマなわけですが、「まれ」において鉄矢を上回る邪神が爆誕しました。常盤貴子です。
いつもニコニコしています。ニコニコしているだけです。殆どのトラブル勃発の場にいながら、決して踏み込むことなく、事態が解決すると、自分の手柄のように振る舞います。といって彼女が何に対しても風のように他人事で振る舞っているのかと思いきや、自分の家族の「場」を保持する事に異常な執着を見せるのです。これには一応彼女が経験してきた幼少時の家庭環境が人格に影響しているという設定があるのですが、それにしたって、ヒロインが自分の意図しない行動を取ろうとするのを敏感に察知しては「お母さん、絶対反対」と潰しにかかってきます。
特に旦那である大泉洋への執着はすさまじいどころの騒ぎでなく、その悪質性を指摘した草笛光子や田中裕子に対して見せた表情はちょっと凄いものがありました。常盤貴子新境地ではないでしょうか。
「まれ」における、「邪神・常盤貴子」や「最初から最後まで使えない大泉洋」、「実の子供とは疎遠な老夫婦の家に転がり込んで居座った挙句、最終的に3世代同居になり傍目から見ると乗っ取り完了だけど、老夫婦は幸せそうなのでイージャン!」な要素はおそらく本来このドラマが当初やろうとした家族の斬新な形態(ものは言いよう)だったと思われますが、作り手がヤバいと思ったのか中盤以降は、踏み込みが明らかに浅くなっていきました。とはいえ中途半端に目覚めた邪神を毎日見せつけられる視聴者のライフはもうゼロです。
朝ドラ「まれ」の問題②もぎたてフレッシュに付き合う視聴者の身になってみろ!
朝ドラといえばフレッシュなヒロイン、よく「数千名のオーディションから抜擢!」というフレーズを目にします。フレッシュとはビジュアルだけでなく、演技力の事も指してます。
フレッシュで垢抜けないヒロインがストーリーの進行と共に成長していく姿を見せる制作意図は現代まで引き継がれた伝統芸です。がしかし、そのフレッシュに延々付き合う視聴者の身になってみろ!という弊害も発生するわけで、近年では松下奈緒や尾野真千子のような直接登用や、オーディション選出のヒロインも他局で出演を重ねた演技派が増えてきています。
本作のヒロイン・まれを演じた土屋太鳳は実力派若手と言っていい、キャリアの持ち主です。実際こんなドラマにおいても全力で頑張っていたと思います。土屋太鳳が「おっぱい」を連呼してくれるなんてもう二度とないかもしれないぞ!と今更そのありがたみに気がついたのですが、本編を見ているときは「二度と聞きたくないのに…しっぱいおっぱい日本一とか二度と聞きたくないのにまだ言うかムキャー!」としか思えませんでした。残念です。
それはさておいて、ヒロインが演技派になってきたので、かつては演技派だった相手役が逆にフレッシュになりだしました。バランスを取っているつもりなのかもしれませんが正直そんなバランスはいらない!「ごちそうさん」は奇跡的にハマっただけ!
というわけで、ヒロインの旦那を演じた山崎賢人がもぎたてフレッシュ(優しい言い回し)にも程がありすぎた件です。彼の場合役回りもヒドかったですね。能登の伝統工芸・輪島塗の名家の孫ですがとてもそうは思えない漆ペタペタ塗りに始まって、正式な稼業への弟子入り直後からトラブルを連発しては実家をピンチに追い込み、その横では幼馴染2人を股にかけ、色々あってヒロインと結婚したものの、基本的に何か事件が起こると、一言も相手に相談せず勝手に動いては倒れたり怒鳴ったり火種を大きくする漆バカです。
上手い役者がやってもかなり難易度の高い役どころをもぎたてフレッシュがやったが為に余計タダのクソ野郎にしか見えないのです。
ちょっと中の人の印象に影響を及ぼすレベルでヒドい役回りにマズいと思ったのか、後半①と同様にフォローするかのようなエピソードが増えたけど、時既に遅し。汚名を挽回するには一体何作少女マンガの実写化の彼氏役を演じなければならないのでしょう。
かけもちで出演していたドラマ版「デスノート」で新世界の神・窪田正孝にひきずられて、ちょっとだけもぎたてフレッシュから卒業の予感を見せたのが希望です。なにかひとつでも代表作ができて、役者として方向性が定まるとよいですよね(棒読み)
朝ドラ「まれ」の問題③職業に対する省略描写の問題
「まれ」には多くの職業が登場しました。ヒロインが目指したパティシエに始まって、輪島塗、塩田、デイトレーダー、グルメサイト運営、フリーライター、司法書士、お役所仕事……その全てが雑な描写でした。雑すぎてクレームが来るんじゃないかレベル。
マーケティング不足だったのか、脚本に書いてないからやってないのか、あるいは省略がド下手くそだったのか…。好意的に捉えるならば、省略が下手くそなあたりなんでしょうけれども。
ある描写の省略技法、というと、平成仮面ライダーシリーズにおける「場所移動の描写」がわかりやすい例になると思うので引き合いに出します。たとえば、
「怪人が現れた! → 仮面ライダーが倒す!」
という流れのシーンがあるとして、いつも仮面ライダーの前に怪人が現れるわけではなく、となり町とか、とにかく別の場所に現れた場合、当然ライダーはそこまで移動する行動が必要になるわけです。がしかし、そこを律儀に描いていた場合、尺が足りないので移動シーンは省略されることが往々にあって、結果「仮面ライダーが怪人のいる場所にワープしたように見える!」みたいなネタにされるわけですね。
このネタ対策として、最初の数回はそのあたりの描写を丁寧に描いて、あとは省略することで、「ちゃんと移動してるけど、省略してるんですよ。」という風に見せる演出が完成するわけです。
ちなみにその「移動する描写」を毎回やたら丁寧にやったのは「仮面ライダークウガ」と「仮面ライダー響鬼」でした。「響鬼」の場合、「移動して、怪人を探す為に山でキャンプしつつ張り込む」描写までつきます。
↑怪人が現れたという報を受けて車で移動してるシーン。
で、「まれ」の場合は、どうだったかというと、例えばまれが選んだパティシェの仕事風景、の場合、凝ったセットで彼女らがやる事といったら、基本最後の飾り付けか、クリームっぽいものをガッシャガッシャかき混ぜる! これだけでした。
とにかくガッシャガッシャ!ガッシャガッシャ! 最後のコンクールだけやっとちょっと作ってる描写見せたけど、ラストシーンもガッシャガッシャ!ガッシャガッシャ! そこから何をどうやったらケーキが出来上がってくるのか全然わかんねぇよ! 「まれの作るケーキは見栄えはイマイチだけど味はシュゴイ」なんてピンと来ない評はいらねぇんだよ!
他の職業についても大体そんな感じで圧倒的に描写が不足。
製菓や漆塗りなんていう一朝一夕で出来ない事は役者が演じるには限界が…トカ、そもそも尺が実質13分しかないんだからそんなに目くじら立てなくても……という問題じゃない! 事細かな描写が見たいんじゃない! 要はどう見せるか! どうしたらそれっぽく見えるのか!これはやってるけど省略してるだけなんだ!と視聴者に思わせるのか! その努力をしているようなシーンあった?ないよね?
↑こういう理由で工程を省略、というパターンは面白いのに…
↑見せ方次第でどんな暴論でも「そ、そうかも…」と思わせる腕と努力が演出側に圧倒的に不足してた気がする。
朝ドラ「まれ」の問題④「あまちゃん」で更に上がった朝ドラハードル。
「あまちゃん」以降、朝ドラの脚本家に課せられたハードルがより高くなったわけで、「カーネーション」以降の作品に課せられた「ドラマ性」に加えて、「溢れんばかりの小ネタ」をブチこまなければならず、失敗した場合その咎を全て負わされてる、みたいな傾向になっているのはちょっと可哀想だと思いました。
これをどうにかするには、朝ドラの脚本家はどういう基準で選出され、その後どういう手順でネタを集め、どうやって話を作り上げていくのか、会議室でどんなくだらない小ネタで盛り上がったのか、をもっとオープンにすべきなんじゃないかと思います。
昔NHKの「ディープピープル」で「『おひさま』の最終回を会議室でスタッフと一緒にうんうん言いながら書いてる」岡田惠和の姿を見たのですが、えぐりだすように文章を生み出す悲惨な光景でした…。あんな思いで「まれ」も生み出されていたんだとしたら、一概に「脚本が悪い」とだけ断ずるにはあまりにも判断材料が少ないんじゃないかと思います。
朝ドラ「まれ」の問題⑤尺が長いのなら、打ち切ってしまえばいいじゃない問題
「つまらない朝ドラや大河の尺を短くすべき」みたいな記事をたまに見かけますが、スポンサーの意向に左右されまくる他局に比べると、「どんなに数字がアレでも基本打ち切られない」のがNHKのドラマです。死屍累々になる場合もあるけど…。会長のムチャぶり影響はありそうだけれども…。今後も息の根は止めずに、頑張っていってもらいたいです。